真面目に非常識なことを考える

実践したことを書いています。

幾らお金を積まれても、アンタの仕事は引き受けない。

お金払ってんだから、ちゃんと義務を果たせよ。
こっちにはサービスを受ける権利がある。

人のせいにする人種が使いそうな言葉である。


お金は基本的に平等である。集めた人が、その代替えに欲しいものを手に入れることができるようなシステムだ。
お金の暴力が蔓延している世の中、
お金をもらわなければ、提供する側としても無駄にへりくだらなくてもいいのではないかと考えることがある。

別にお金なんかなくてもいい。そう言い切って生けたらいいな。
と思うことがある。
幸せを誰かにあげたら、その幸せの代償を誰かからもらえたらいいかもね。


テレビで最近離島や田舎に引っ越して暮らす家族の生活なんていうのをやっていた。
地元の農民は、自分の畑で取れた野菜、勝手に取っていっていいよ。と言い、新参者はその好意に甘える。農民は言う「(彼らが)ここに引っ越してきて、後悔したと思って欲しくない。幸せになった思って欲しい。村のよさを感じてくれたらいいんです」


かつて私の周りではそういうのが当たり前だった。
子供の頃は、近所の年長者にかわいがってもらって、大人には様々な場面で助けてもらったり、しかられたりした。

最近でも知り合った外国人が、私が大阪出身だと言うと「大阪にいたとき電気屋の人がウオークマンをダダでくれた。親しいわけでもないのに何でくれたのかワカリマセン」と尋ねた。少し考えて、
「その人に気に入られたか、大阪をいい町だと自国で宣伝して欲しいんじゃないかな。とにかく、喜んで欲しいというのが本音だと思うよ」大阪の人は気前がいいと思われたい人が多いからと付け加えた。それでも彼は理解できないような顔をした。


人徳をマネー的な使い方が出来ないだろうか。
お金では買えないものがあってもいいと思う。
徳を積んだ人だけが受けられるサービスや、徳を何かと交換できる仕組み
いい人だけが利用できるタクシーや、市町村、リゾートがあれば気持ちいいだろう。
決して人のものを不正に取らない、人の足を引っ張らない、殺さない、そんな(認定を受けた)人たちだけ助け合える街があったら、いいかもね。
ヤマギシズムはうさん臭いが)

または、お金はあくまでも物々交換のみに使用、あらゆるサービスはお金以外の「人徳マネー」でやりとりするという、世の中のルールの仕切りなおしはどうだろう。
お金だけでは生きてゆけない、お金無しでは生きていけないという思い込みを覆してみたいものです。悲観的にならなくてすむ人が増えるような気がします。