真面目に非常識なことを考える

実践したことを書いています。

靖国神社の解釈

以前、伯母(坂本ミチヱ)に自著の本を頂いたお礼に靖国神社のお守りを贈ったら、返送された。
叔母は、満州勤労奉仕隊として行って帰ってきた世代だ。
開拓団は何度か送られたらしいが、伯母はギリギリ戦争に巻き込まれないタイミングでフツーに戻ってきたそうな。
後に派遣された人ら(兵隊ではなく平和と人類の繁栄を信じて自己犠牲をした方々)は悲惨な戦争に巻き込まれた。ということだ。

拾い集めた石ころ

拾い集めた石ころ

返送されたお守りに添えてあった手紙を解釈すると、「メインが兵隊を祀ってある靖国に対して疑問を感じる。お国のために犠牲になった人は兵隊だけではない 政策の意図的なところが嫌悪感」
「(不本意に命を失った)戦争の犠牲者の魂は、それぞれ(日本、アジアの国々、戦勝国)のそれぞれの墓や心の中にある。」
ということだった。


伯母はこの世代にありがちな「天皇萬歳」の人種ではない。
一所懸命にひたすら「家族のため」「食って生きて」「夢と希望を持って」生き延びてきた世代の人だ。目で見た範囲が全てだ。
伯母の考えには否定できない。
自分が靖国神社に祀られたり祀られなかったり、どちらでもイヤな思いをするだろう。って考えたのかもしれない。



俺の世代はどうだろう。
靖国神社=平和を祈る=墓参りと同義=先祖に感謝
と安易に考えていないだろうか。


色んな犠牲の上に「今」があることを想っていたい。