靖国神社の解釈
以前、伯母(坂本ミチヱ)に自著の本を頂いたお礼に靖国神社のお守りを贈ったら、返送された。
叔母は、満州に勤労奉仕隊として行って帰ってきた世代だ。
開拓団は何度か送られたらしいが、伯母はギリギリ戦争に巻き込まれないタイミングでフツーに戻ってきたそうな。
後に派遣された人ら(兵隊ではなく平和と人類の繁栄を信じて自己犠牲をした方々)は悲惨な戦争に巻き込まれた。ということだ。
- 作者: 坂本ミチヱ
- 出版社/メーカー: ドン・ボスコ社
- 発売日: 1991/04
- メディア: 単行本
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返送されたお守りに添えてあった手紙を解釈すると、「メインが兵隊を祀ってある靖国に対して疑問を感じる。お国のために犠牲になった人は兵隊だけではない 政策の意図的なところが嫌悪感」
「(不本意に命を失った)戦争の犠牲者の魂は、それぞれ(日本、アジアの国々、戦勝国)のそれぞれの墓や心の中にある。」
ということだった。
伯母はこの世代にありがちな「天皇萬歳」の人種ではない。
一所懸命にひたすら「家族のため」「食って生きて」「夢と希望を持って」生き延びてきた世代の人だ。目で見た範囲が全てだ。
伯母の考えには否定できない。
自分が靖国神社に祀られたり祀られなかったり、どちらでもイヤな思いをするだろう。って考えたのかもしれない。
俺の世代はどうだろう。
靖国神社=平和を祈る=墓参りと同義=先祖に感謝
と安易に考えていないだろうか。
色んな犠牲の上に「今」があることを想っていたい。