真面目に非常識なことを考える

実践したことを書いています。

google=グーグル、Yahoo=ヤフーなどネットやらない人は知らない

最近気が付いたことだが、地方に住む若者で携帯を使っていてもインターネットに影響をあたえている会社の名前や読み方を知らなかったりする。
大学受験を最後に英語の勉強をやめ、就職にパソコンが必要でなかった時代をすごし、今も職場にパソコンがない30代後半以前の人に至ってはgoogleの読み方を知らなかった。

情報を得る手段が異なると、見るもの聞くものも違う。
価値観も変わってきてますます意思疎通が難しくなる。

意思疎通が求められていない、または必要ないってことなのかもしれないが
※ 社会性を持つためには、多くの人が多くの人と意思疎通しなければいけない。

ま、何が言いたいのかっていうと、もしかしたら先進国である日本でも、自分を含む人口のほんのわずかな人らが世界や職場がつながっているインターネットを便利だと思いこんでいて、前者のgoogle=グーグル、Yahoo=ヤフーを知らない人らのほうが多くて半径10km圏内&実質1.5年先のことを考えていて、ガソリン高くなったとか野菜があっちのスーパーの方が断然安いとか、サラ金はアコムがいいかな@ローンがいいかなとか、携帯買い換えなきゃと思いながらもメールくらいしか普段つかわなかったり、
大病を患って治っても、健康が普通になったらつらい時期のことを忘れて、自分事だったはずなのに他人事のようになってる。
ガソリンが高騰しても道路を走る車が減ったようには見えない。

じぶんを含む多くの人は視野の広い狭いの差がある程度で、小さなことや、どうにもならないことになやんだりこだわったり、時間を割いているようにも思う。

便利な世の中に慣れすぎながら、それぞれそこそこ社会に不満を持ちながらも、身近な人やら遠くの人やらを比較して幸せの実感を小さく感じてどこかあきらめながら生きてる。
こういう風潮って30年くらい前から変わっていない。
実質身分差別による自由恋愛の禁止も現在は無いなど、この時代はかなり幸せなはずなんだけどね。

自分がどういうことを思っていて、何をやっているということが後に社会にどう影響を与えるかってキッチリ考えて行動に移せば、今であれば、いろんなことをあきらめなくて済むんじゃないかなという気がする。
どうにもならないこともないんじゃないか。

「身勝手な行動でないか」って慎重に考えること。