真面目に非常識なことを考える

実践したことを書いています。

ディズニーを嫌いという人はいない

東京ディズニーランドは、幼児から老人に至る全世代から好評だ。
行った人が誰もが非日常を楽しんでるように見える。
またキライ、二度と行かない、楽しめないなどという人に会ったことがない。


私が初ディズニーを体験したのは、東京に出て5年以上経とうとした頃だろうか、まだSeaはない時代。なかなか行く機会がなく一緒に行く相手もおらずだった。
ある日大阪で母親と暮らす実妹から「一緒に行って欲しい」と電話がかかってきた。せっかくだから2日間行きたいと言う。
兄として叶えてやるかとオフィシャルホテルの予約を取り、2dayパスポートを買った。
久々に会う妹に兄らしい振る舞いをしないといけないと緊張した。


園内に入ると、なぜか幸せに満ち溢れていた。
明らかなる「ヤンキー」までもが笑顔でミッキーと写真を撮り楽しそうにしている光景に強烈な違和感を感じた。
目くるめく造られた世界に戸惑った。
スモールワールドで繰り返し聞かされる同じフレーズの音楽を苦痛に感じた。


2日目は園内に響くミッキーのテーマが頭に響き、ベンチにへたり込んだ。10分後にはこの場に居たたまれなくなり、パレードを見に行った妹を残し、黙ってゲートから出てしまった。
アムウエイの大きな大会(表彰式だと思う)の熱狂に我慢できた俺が、あんなダメージを受けたのは理由は疲れだけでなかった。
俺はディズニー映画は見たこともなかったし、ミッキーやプーやドナルドの映画なんて劇場公開された記憶がない。(絵本でダンボは見たことはある)
故にストーリーや性格もわからないキャラクターに喜ぶ妹を見て「洗脳されたか」と付き合いきれなくなったんだと今に思う。


「ディズニーで楽しめなかった。」後日先輩にそう言うと、「俺は家族で行っても一番張り切っちゃうよ。」と夢の国の住民になりきって楽しむんだよ
そのようなアドバイスを受けた。


その後何度かディスニーに出かける機会に恵まれた。
率先してショーを予約したりなるべく楽しむように努めた。
逃げ出したい感は感じなくなった。


皆いい人になり、また夢の住民になりきっている。(それが正しい。)
園内でゴミ、タバコのルールを守らない人は見たことがない。
中で食べるメシも、想像どおり見たままの味で喜びや発見はないが、雰囲気で美味しいと思えなくもない。(疑っちゃいけない。)


ゲートが無くなりディズニーワールドが開放され、ミッキーやミニーがそこらに存在し、日本中がテーマパーク化したら、犯罪のないええ社会または笑顔あふれる社会、不安のない社会になるのだろう。


ミッキーが愛されるのは、ミッキー自身、世界中のみんなのことが好きだからだそうだ。キライな人はいないらしい。神のようだ。
確かに昔通っていた、教会の中では皆いい人だった。教会の外ではそうでなくなる人もいた。


普段の生活に夢を見ることは出来ないのであろうか。
毎日がお祭りやパレードのようだったら笑顔が増えるかも。
「社会に参加している」そんな実感を日常感じられるなら夢や希望も持てるかも。


娘がこの前行ったムツゴロウ王国を、「ディズニーより良かった」と評したのが少し嬉しかった。仔犬の誕生を見ることができ、死んだ犬に触れることができた。